上は国王貴族から一般庶民まで分け隔てなく感染したことから、あらゆる階層に恐怖と不安を植えつける結果となりました。
古来より性病としての淋疾は知られてましたが、梅毒がこの時期爆発的に流行した理由は一切わかりませんでした。
1495年フランス王シャルル八世(1470〜1498)は、ナポリ王国の王位を手に入れんと32000の軍勢を引き連れてイタリア遠征に旅立ちました。
この遠征にはおよそ800人の娼婦も行動を共にし、兵士の多くは快楽に身を委ねたわけです。
そしてナポリに侵攻後兵士たちは、ナポリでも性に没頭することになります。
シャルル八世のナポリ駐屯の時期を同じくして、この地の兵士や娼婦の間に最初の梅毒が確認されるようになりました。
この不気味な伝染病をすべての人は忌み嫌い、フランス軍は「ナポリ病」、イタリア人は「フランス病」と呼びおたがいに罪のなすり合いをしたわけです。
結局のところシャルル八世の遠征は失敗しフランスに逃げ帰り、その後27歳で死亡していますが、死亡の原因はこの遠征中に感染した梅毒とも言われています。
シャルル八世は、イタリア遠征で梅毒をヨーロッパ中に広めたというありがたくない名誉を医学史上に残すことになります。