1.エンゲルベルト・ケンペル(1651〜1716)
エンゲルベルト・ケンペルは、ドイツ人医師・博物学者で、元禄3年(1690年)〜元禄5年(1692年)まで出島に滞在し、長崎商館医を務めています。
ヨーロッパにおいて日本を初めて体系的に記述した『日本誌』の原著者として知られています。
著書『日本誌』は、彼の死後英訳版で発行されています。
彼は植物学を中心に博物学研究を行い、出島に薬草園を作るなど活躍しています。
著書『日本誌』は、彼の死後英訳版で発行されています。
2.カール・ツンベルク(1743〜1828)
カール・ツンベルクは、スウェーデン人の医師・植物学者で、リンネの弟子です。
安永4年(1775年)〜安永5年(1776年)まで出島に滞在し長崎商館医を務めています。
日本における植物学や蘭学、西洋における東洋学の発展に寄与しています。
多数の植物標本を持ち帰り学名を付けた。通詞や蘭学者に医学・薬学・植物学を教えた。
著書『日本紀行』などがあります。
ツンベルクは学名の二名法が確立した初期に新種を多数発見していることから分類学への貢献が多大で、学名でツンベルクに献名された動植物は多い。
日本に滞在したことから日本産の動植物にも多く献名されています。
ナンテン、サザンカなどの記載もあります。
3.フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト(1796〜1866)
フィリップ・フランツ・フォン・シーボルトは、ドイツ人医師・博物学者で、文政6年(1823年)〜文政12年(1829年)まで出島に滞在し、長崎商館医として着任し翌年には鳴滝塾を開いて日本人に医学・博物学の指導を行っています。
日本についての資料の収集に努めましたが、文政11年(1828年)シーボルト事件を起こし、翌年国外追放となりますが、安政6年(1859年)オランダ商事会社顧問として再来日しています。
江戸幕府の外交顧問として活躍し、文久2年(1862年)帰国しています。
著書に『日本』『日本植物誌』『日本動物誌』があり、これらの書物はペリーの来航にも影響を与えたと言われています。
日本で収集した文学的・民族学的コレクション・哺乳動物標本・鳥類・魚類・爬虫類・無脊椎動物標本・植物・植物標本の膨大な資料を持ち帰っています。
1832年にライデンで家を借り、コレクションを展示した「日本博物館」を開設しています。
切手は1973年スウェーデン発行の「5人の探検家を称える切手」で、ツンベルクの肖像と共に、牡丹の花(左側)・日本家屋と婦人(右側)が描かれています。

切手は1996年ドイツ発行の「シーボルト生誕200年記念切手」で、シーボルトの肖像と、彼がヨーロッパにおいて紹介したとされているナツヅタが描かれています。

切手は1996年日本発行の「シーボルト生誕200年記念切手」で、シーボルトの肖像と、彼がヨーロッパにおいて紹介したとされているナツヅタが描かれています。

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