病名は、1873年にらい菌を発見したノルウェーの医師、アルマウェル・ハンセン(1841〜1912)に由来しています。
ハンセン病とその発見者のアルマウェル・ハンセンについては当ブログにおいても紹介しております。
この病気は世界的には減少傾向にありますが、2018年の世界保健機関の統計ではインドの12000人、ブラジルの28600人そしてインドネシアの17000人となっています。
一方わが国では、2010年から202年までの累計で7人の患者しか発生していません。
ダミアン神父(1840〜1889)は、ベルギー人のカトリック司祭で、アメリカ合衆国ハワイ州モロカイ島で、当時誰もが顧みなかったハンセン病患者たちのケアに生涯をささげ、自らもハンセン病で命を落としています。
彼の本名はヨゼフ・デ・ブーステルですが、1859年にイエスとマリアの聖心会に入会し、司祭として神と人々に自らの一生を捧げることを誓い、このとき選んだ修道名が「コスマとダミアノ」という有名な聖人兄弟の一人の「ダミアン」で、以降彼は「ダミアン」と呼ばれることになります。
献身的にケアするダミアン神父でしたが、部外者であるダミアン神父になかなか心を開きませんでした、そのため彼は次第に患者の患部に触れることに躊躇しなくなり、感染の可能性を恐れなくなっていきました。
彼の献身的なケアが実り、世論がダミアン神父を「モロカイの英雄」といって注目するようになります。
1884年12月、ダミアン神父は自らもハンセン病を発症し1989年4月15日49歳の若さで死亡します。
ダミアン神父はモロカイ島に埋葬されましたが、1930年代になって彼を「ベルギーの英雄」として、その遺体を求める世論がベルギーで高まりこれを受けて、1936年1月27日に棺が掘り出され、彼の故郷ベルギーに運ばれます。
1936年5月3日、故国ベルギーへ到着した際には、港では国王レオポルド3世以下、多くの国民が集まり彼の遺徳を讃えました。
ダミアン神父はモロカイ島定住し、ハンセン病のケアを献身的に行い自らもハンセン病を発病し死去したことは新聞報道がなされ、全世界に大きなショックを与えることになります。
切手は1946年ベルギー発行の「ダミアン神父シリーズ切手」で、1枚目はダミアン神父の横顔、2枚目には彼がケアに生涯をかけた場所としてのアメリカ合衆国ハワイ州モロカイ島、3枚目はハンセン病患者をケアするダミアン神父が描かれています。



切手は2009年ベルギー発行の「ダミアン神父切手」で、ハンセン病患者とともにダミアン神父の写真が描かれています。

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