サンチョウバエという砂バエに刺されたり、かまれたりすることにより感染します。
この病気は南米のペルー、エクアドル、コロンビアだけに存在する病気です。
病型は2つあり、1つは、発熱と貧血が主症状で、マラリアや腸チフスのような経過をとり、死亡率の高い病型でオロヤ熱と呼ばれています。
もう1つは、粟粒大からエンドウ豆大の丘疹・結節ができる病型で、ペルーいぼ病と呼ばれ、これは比較的軽症です
ペルーいぼ病は、オロヤ熱にひきつづいておこることもあり、また単独でおこることもあります。
オロヤ熱の発生地のみに、ペルーいぼ病(Verruga peruana)と呼ばれる皮膚病の発生があり、オロヤ熱回復期の患者に、この皮膚症状がよく見られるので、オロヤ熱とペルーいぼ病との異同が問題になっていました。
ダニエル・アルシーデス・カリオン(1857〜1885)はベルーの医学生で、1885年オロヤ熱とペルーいぼという病気が同じ病原菌によって起こることを証明しようと自分の体を実験台にしその症状を克明に記録しました。
彼は、ペルー疣病の抽出液を自分の身体に注入し、39日後、オロヤ熱を発病して、1885年10月5日に死亡します。
彼は自身を使ったこの病気の研究で自らの命を落としてしまいます。
彼の研究レポートは医学的技法が未熟で記録も失われために、アメリカ人の医師団によって彼の命がけの研究は否定されてしまうのでした。
しかし黄熱研究の傍ら、この物語に強く心を動かされた野口英世博士(1876〜1928)は、ぺルー滞在の間にこの問題の研究に着手、帰国後ついに2年の歳月をかけてカリオンが正しかったことを証明し学会に発表しました。
この野口の研究は彼の業績のなかで「2番目に大きな業績として認められている」とされています。
1885年ペルーの医学生ダニエル・カリオンが、それまでペルーの医師の間で唱えられてきた説を自らの身体を実験体として示し、以後カリオン病と呼ばれるようになったものであり、ペルー国内では認められたものの、アメリカのハーバード大学により否定されていたのを野口はカリオンの報告を科学的に証明したもので、その成否についてハーバード大学と大変な議論を経た後に野口の成果が正しいとされました。
ペルーの医学界では、彼の英雄的行為を讃え、カリオンが死亡した10月5日を、ペルー医学の日(el Dia de la Medicina Peruana)と制定し、毎年休日にしています。
また、オロヤ熱とペルー疣病を総称して、カリオン病(Enfermedad de Carion)と呼ぶことにしています。
【追加】
サシチョウバエは,パパタシ熱,バルトネラ症,リーシュマニア症などの人獣共通感染症を媒介する昆虫で、世界に約500種が知られていますが感染症の媒介者としては30種ほどです。
日本にはニホンサシチョウバエ1種が生息していますが、感染症を媒介することはありません。
切手は1958年ペルー発行の「カリオン生誕100年記念切手」で、彼の肖像が描かれています。
切手は2007年ペルー発行の「カリオン生誕150年記念切手」で、彼の肖像とともにサンチョウバエが描かれています。
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