華佗の医術はとても高くて、伝染病、寄生虫病、産婦人科、小児科、呼吸器官病それに皮膚病などの多くの分野に及んでいました。
外科的手術を積極的に行い、大麻を含む「麻沸散」と呼ばれる麻酔薬を使い、開腹術や開頭術を積極的に行ったと伝えられています。
更に麻酔を最初に積極的に使用したのは華佗とされています。
切手は2020年中国発行の「華陀の小型シート」で、薬草の研究中の華陀が描かれています。
魏の曹操(155〜220)は、元来の頭痛持ちであり華佗に治療を求めます。
華佗は病根が脳中にあるため、薬の治療は効かないと診断し「まず麻肺湯を飲み、その後に斧をもって脳を切り開き、風涎を取り出して根を除きます」と治療法を告げました。
猜疑心の強い曹操は、華佗に対し「お前はわしを殺す気か」と激怒し、曹操は「脳を切り開く治療法など聞いた事がない、お前は関羽と懇意であることから治療を口実に関羽の仇討ちをしに来たか」とさらに怒り、華佗を投獄して拷問にかけた末に殺してしまいます。
一時の感情により華佗を殺してしまって曹操は、一生涯頭痛に悩まされることになります。
華佗は処刑の前に自分の著書である『此乃済世話人之書』を獄吏に手渡しますが、獄吏の妻が災いを恐れて書物を焼き捨ててしまったことから、華佗の医術は後世には伝わらず、特に外科学は中国においては近代まで全く発展することはありませんでした。
切手は1988年「三国志切手」の中の一枚で、曹操(立っている人物)と劉備が描かれています。
劉備は呂布との戦いに敗れ曹操を頼り身を寄せます。
ある日曹操は劉備を小亭に呼んで酒を飲みながら天下の英雄について話を始め、『天下の英雄は誰か?』との問に名を挙げるが、曹操は『英雄は君と俺だ』と言う。
劉備は驚いて箸をおとす、其の時雷鳴が響く、英雄と言われた驚きを雷のせいにして誤魔化かします。
切手は1994年中国発行の「三国志切手(5次)」で、「連環の計」に嵌った曹操が描かれています。
船に弱い曹操軍に船と船を鎖で結び板を並べれば風波による船の揺れを防ぎ兵の船酔いを無く事ができるとの計を受け入れた曹操は戦勝を確信し前赤壁賦を作り詠いますが、曹操軍は火責めにあった時、船を動かすことが出来ずに曹操の軍船は壊滅的な被害受けます。