2023年08月26日

レオナルド・ダ・ヴィンチ物語−3.解剖学−

人類史上初めて正確な解剖スケッチを行った人物です。

局所解剖学の知識を身につけ、筋肉、腱など人体の内部構造を描いた多くのドローインを残しています。

彼は、1489年から解剖した人体の詳細な素描を描き始め、教皇レオ10世(1475〜1521、在位:1513〜1521)によって解剖が禁止されるまでの20年間で30体近い死体を解剖し、750近い素描を遺しています。

人体骨格を扱った手稿も多数描き骨格と筋肉の機能に関するこれらの研究は、現代科学でいうバイオメカニクスの初歩にも適用可能な先駆的研究とも言われています。

更にレオナルドは心臓や循環器、性器、臓器などの手稿も残しており、胎児を描いた最初期の科学的なドローイングを描いています。

残念なことに彼はスケッチを出版しなかったために、その栄光はアンドレアス・ヴェサリウスのものとなってしまいヴェサリウスは「近代解剖の祖」と言われていますが、本来ならダヴィンチこそが「近代解剖学の祖」と称されるべきです。


切手は2019年イギリス発行の「レオナルド・ダ・ヴィンチ没後500年記念切手」で、頭蓋骨の断面図が描かれています。


レオナルド・ダ・ヴィンチ.頭蓋骨.イギリス.2019.jpg



切手は2019年イギリス発行の「レオナルド・ダ・ヴィンチ没後500年記念切手」で、肩と足の解剖図が描かれています。


レオナルド・ダ・ヴィンチ.肩と足の解剖図.イギリス.2019.jpg


切手は2019年ボスニア・ヘルツェゴビナ発行の「レオナルド・ダ・ビンチ没後500年切手」で、子宮内の胎児が描かれています。


レオナルド・ダ・ヴィンチ.胎児.2019.ボスニア・ヘルツェゴビナ.jpg


当時は妊婦の解剖が出来ないことから、牛の子宮を観察して人の胎児をはめ込んでスケッチしたと考えられています、そのことから子宮内の胎児の位置が逆さまで描かれています。


切手は2019年リヒテンシュタイン発行の「レオナルド・ダ・ビンチ没後500年小型シート」で、左から飛行機のスケッチ、彼の自画像、人体解剖図が描かれています。


レオナルド・ダ・ヴィンチ.解剖図.リヒテンシュタイン.2019.jpg

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2023年08月19日

レオナルド・ダ・ヴィンチ物語−2.絵画−

彼の絵画歴の最初は師アンドレア・デル・ヴェロッキオ(1435〜1488)との合作『キリストの洗礼』に始まります。

彼の作品はおよそ20作品あるとされています。

特に有名なものとしては、『受胎告知』、『モナリザ』、『最後の晩餐』がよく知られています。

絵画はスフマート技法(輪郭なしに影だけで自然な立体感を表現する絵画技法)と空気遠近法(距離が遠くなるほど色調が明るくなり、かつ寒色になる技法)を用いています。


切手は1980年ブルガリア発行の「レオナルド・ダ・ヴィンチ絵画切手」の中の2枚で、受胎告知が描かれています。


大天使ガブリエルがキリスト受胎を告げるために聖母マリアのもとを訪れた場面


受胎手告知1.ブルガリア.1980.jpg

読書中の聖母マリアが大天使ガブリエルからイエス・キリストの受胎告知を受けて驚く様子


受胎手告知2.ブルガリア.1980.jpg


切手は1952年西ドイツ 発行の「レオナルド・ダ・ヴィンチ生誕500年記念切手」でモナリサが描かれています。



モナリサ.西ドイツ1952.png


切手は2019年ベトナム発行の「レオナルド・ダ・ヴィンチ没後500年小型シート」で、切手には彼の『最後の晩餐』、シート面には彼の肖像と当時の風景と建物が描かれています。


最後の晩餐.ベトナム.2019.jpg
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2023年08月17日

台風7号による被害のお見舞い

このたびの台風7号により被災された方々に心からお見舞い申しあげます。

また復興にご尽力されている皆様には、心から感謝申し上げます。

早期の復旧をお祈り申し上げます。
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2023年08月12日

レオナルド・ダ・ヴィンチ物語−1.レオナルド・ダ・ヴィンチとはどのような人物なのか−

レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452〜1519)は、フィレンツェ共和国(現在のイタリア)のルネサンス期を代表する芸術家で、極めて広い分野に顕著な業績を残し、彼の手稿にも多くのデッサンや記述がこのされています。

レオナルド・ダ・ビンチといえば絵画モナリザや最後の晩餐があまりにも有名ですが、彼の才能は絵画に留まらず医学・天文学・力学・博物学・動植物学・飛行力学・物理学なとなど極めて広い分野に及びます。

彼は万能の天才とも称されています。

彼の残した科学や工学に関する研究も、その芸術作品と同じく印象深い革新的なもので、これらの研究は13,000ページに及ぶ手稿にドローイングと共に記されており、現代科学の先駆とされています。

ここでは切手でレオナルド・ダ・ヴィンチの偉業に迫りたいと思います。


切手は1952年ポーランド発行の「レオナルド・ダ・ビンチ生誕500周年記念切手」で、彼の肖像画が描かれています。


レオナルド・ダ・ヴィンチ肖像画.ポーランド.1952.jpg


切手は1952年ハンガリー発行の「レオナルド・ダ・ビンチ生誕500周年記念切手」で、彼の肖像画が描かれています。


レオナルド・ダ・ヴィンチ肖像.ハンガリー.1952.jpg



切手は2015年ベナン発行の「レオナルド・ダ・ビンチ小型シート」で、彼の3枚の肖像画とシート面には彼の手稿と複製された種々の機器が描かれています。


レオナルド・ダ・ヴィンチ肖像と手稿.ベナン.2015.jpg
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2023年08月04日

オリンポスの十二神物語−15.番外編 ペルセポネ−

ペルセポネは、ギリシア神話に登場する冥界の女王です。

ローマ神話では、プロセルピナと称されています。

ギリシャ神話によると、コレー(後にペルセポネ)は、永遠の処女であることを誓ったため、アプロディテはエロスの矢で冥界の王ハデスを射ることを画策した時、コレーは野原で妖精達と供に花を摘んでいいました。

その時ふと見ると一際美しい水仙の花が咲いていたので、コレーがその花を摘もうと妖精達から離れた瞬間、急に大地が裂け、黒い馬に乗ったハーデスが現れ彼女は冥府に連れ去られてしまったのです。

オリンポスでは、母デメルテがさらわれるコレーの叫び声を聞きつけますが、娘コレーの姿がどこにもないことに気づくと、悲しみにくれながら、松明を片手に行方の分からない娘を探して地上を巡り歩きます。

そして十日目に灯火を手にした月神ヘカテーと出会って、コレーが誘拐されたことを聞き、彼女は太陽神ヘリオスのところに行き、ヘリオスから、ハデスがコレーを冥府へと連れ去ったことを知るのでした。

デメルテはゼウスの元へ抗議に行くが、ゼウスは取り合わず、「冥府の王であるハーデスであれば夫として不釣合いではない」と発言します。

これを聞き、娘コレーの略奪をゼウスらが認めていることにデメテルが激怒し、オリンポスを去り大地に実りをもたらすのをやめ、地上に姿を消してしまいます。

冥府に連れ去られたコレーは丁重に扱われるも、自分から進んで暗い冥府に来た訳ではないため、ハーデスの求愛にも頑として首を縦に振りませんでした。

その後ゼウスがヘルメスを遣わし、ハデスにコレーを解放するように伝え、ハーデスもこれに応じる形でコレーを解放しますが、その際、ハーデスがザクロの実を差し出し、それまで拒み続けていたコレーでしたが、ハーデスから丁重に扱われていたことと、何より空腹に耐えかねて、そのザクロの実の中にあった12粒のうちの4粒を食べてしまいます。

開放された後母であるデメルテの元に帰還したコレーは、冥府のザクロを食べてしまったことを母に告げます。

冥界の食べ物を食べた者は、冥界に属するという神々の取り決めがあったため、コレーは冥界に属さなければならなくなってしまったわけですが、母デメルテはザクロは無理やり食べさせられたと主張してコレーが再び冥府で暮らすことに反対するも、デメルテは神々の取り決めを覆せませんでした。

その結果食べてしまったザクロの数だけ冥府で暮らす(1年のうちの1/3(または1/2)を冥府で過ごす)こととなり、彼女は冥府の王妃ペルセポネーとしてハーデスの元に嫁いで行ったのです。

そしてデメテルは、娘が冥界に居る時期だけは、地上に実りをもたらすのを止めるようになりこれが冬という季節の始まりだとされています。

娘ペルセポネーが地上に戻る時期は、母である豊穣の女神デメテルの喜びが地上に満ち溢れこれが春という季節です。

ハーデスは女神ペルセポネを妻とし、彼女は冥府の女王として死者の減刑や赦免なども果たすようになります。

またペルセポネは地上にいるときは春の女神とされる。



切手は1973年ルーマニア発行の「絵画小型シート」で、ドイツの画家ハンス・フォン・アーヘン(1552〜1615)作『プロセルピナの誘拐』が描かれています。


プロセルピナの誘拐.ルーマニア.1973.jpg



切手は2004年ソマリア発行の「彫刻切手」で、バロックの時期を代表するイタリアの彫刻家、建築家、画家ジャン・ロレンツォ・ベルニーニ(1598〜1680)作『プロセルピナの誘拐』が描かれています。


プロセルピナの誘拐.ソマリア.2004.jpg
posted by 血液の鉄人 at 07:50 | Comment(0) | TrackBack(0) | 医学切手 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする