2024年05月25日

梅毒に悩んだ著名人−10.ゴーギャン−

ウジェーヌ・アンリ・ポール・ゴーギャン(1848〜1903)は、フランスのポスト印象派の画家です。

1887年からは友人のシャルル・ラヴァルとともにマルティニーク島のサン・ピエールという村に滞在、マルティニーク島では原住民の小屋に住んで人間観察などを楽しみ、島内を旅行してインド系移民の村にてインド的モチーフや、戸外の情景を明るい色彩で描いた作品を多く残しています。

1891年に仏領ポリネシアのタヒチに滞在し現地の住民をモデルにした肖像画などゴーギャンの傑作を残しています。

病院では心臓病と診断され(梅毒の初期症状とも推測されている)、何度も入院するなど衰弱しており、さらに滞在費用が底を尽きたなどの理由で1893年にフランスに帰国します。

今でこそ高額で取引されているゴーギャンの作品ですが、当時は全く売れませんでした、ゴーギャンが最初にタヒチに滞在している間の1年半、画商に預けてある絵は1枚も売れませんでした。

彼はパリ滞在の間に梅毒トレポネーマに感染し、体調の悪化から何度も病院に入院しています。

彼は54歳という若さで急死しますが、死因はアヘンチンキという痛み止めの薬物の過剰摂取か、心臓発作、梅毒治療に用いたヒ素中毒と考えられていますが、梅毒による発作も否定できません。

切手は2008年サントメ・プリンシペ発行の「ポール・ゴーギャンの絵画小型シート」で、切手には彼の作品の『ヴァイルマティ・ティ・オア:彼女の名はヴァイルマティといった(1892年作)』(左上)、『ジャワ女アンナ(1894年作)』『二人のタヒチ女(1899年作)』(右上)、『オンディーナ(1889年作)』(右下)全てに彼の自画像、そしてシート面上『マナオ・トゥババウ(死靈が見ている)(1892年作)』、下『嫉妬するの?(1892年作)』が描かれています。

ゴーギャン.サントメ・プリンシペ.2008.jpg




切手は2009年ギニア発行の「ゴーギャン絵画切手」の中の一枚で、ゴーギャンの肖像とともに彼の作品『甘い夢』が描かれています。



ゴーギャン.甘い夢.ギニア.2009.jpg




切手は2018年仏領ポリネシア発行の「ゴーギャン生誕170年記念小型シート」で、切手とシート面には作品の一つである『黄色いキリストのある自画像』が描かれています。


ゴーギャン.仏領ポリネシア.2018.jpg

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2024年05月20日

二十四節気−10.小満(しようまん)

本日2024年5月20日は小満です。

小満とは、太陽の光を浴び、万物がすくすく成長しあらゆる生命が満ち満ちていく季節です。

ようやく暑さも加わり、麦の穂が育ち、山野の草木が実をつけ始め、ベニバナが盛んに咲き乱れ梅の実がなり、てんとう虫が見られるようになります。

束の間ですが1年で一番気持ちがよく過ごしやすい季節す。

西日本では梅雨の走りが見られます。


切手は2016年中国発行の「二十四節気・夏 6種連刷切手」の中の一枚で、小満が描かれています。


小満.2016.中国.png



切手は2000年台湾発行の「二十四節気切手」の中の一枚で、小満が描かれています。


小満.台湾.2000.jpg




切手は1994年日本発行の「普通切手 日本の自然シリーズ」の中の一枚でテントウムシが描かれています。



テントウムシ.日本.1994.jpg

                                        

切手は1990年日本発行の「47都道府県の花切手 山形版」の中の一枚でベニバナが描かれています。


ベニバナ.1990.jpg
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2024年05月18日

梅毒に悩んだ著名人−9.ロートレック−

アンリ・マリー・レイモン・ド・トゥールーズ=ロートレック=モンファ(1864〜1901)は、フランスの画家で後期印象派の代表的な作家の一人として知られています。

彼の身長は152Cmとしかなく、胴体の発育は正常でしたが脚は子供のままの状態でした。

彼の脚の以上は遺伝性の骨形成不全症とも考えられています。

彼はアルコールに依存していき34歳のときにはアルコール中毒による発作を引き起こし、強制的に入院させられ治療を受けますが、退院後も酒を飲みながら絵を書き続け、1901年再度発作を引き起こし36歳の若さでその生涯を終えました。

彼はキャバレー「ムーラン・ルージュ」との出会いから、キャバレーに入り浸るようになりこの頃から彼女らをモチーフとして愛情のこもった筆致で描くことになります。

そしてロートレックは娼婦への依存も次第に高まり、自身のコンプレックスと当時の下層階級である彼女たちとの親和性に強く惹かれていきその奔放な性生活により梅毒トレポネーマに感染してしまいます。

彼はアルコール中毒だけでなく、1890年頃には梅毒トレポネーマに感染していました、そのことからして彼の発作は梅毒によるものとも考えられます。


切手は1958年フランス発行の「著名人切手」の中の一枚で、ロートレックの肖像が描かれています。


ロートレック.フランス.1958.jpg


切手は1976年トーゴ発行の「ロートレック死去75年記念小型シート」で、彼の作品『モーリス・ジョワイヤン』(切手左)、『メッサリナ』(切手右)とともにシート面には彼の肖像が描かれています。


ロートレック死去75年トーゴ.1976.jpg
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2024年05月11日

梅毒に悩んだ著名人−8.アドルフ・ヒトラー−

独裁者の典型とされるアドルフ・ヒトラー(1889〜1945)も梅毒であったとの説があります。

感染経路は2つの説あり、ひとつは父アロイス・ヒトラーと母クララ・ヒトラーからの感染、すなわち先天性梅毒です。

彼らの子どもが次々と早逝したのは先天的な梅毒だったという説明にもつながります。

もう一つは、若い頃にウィーンで街娼から感染し、そのために売春婦を憎んでいたとする説です。

残っているヒットラーの映像から晩年の手の震えはパーキンソン病ではなく、梅毒の症状とも考えられます。

たしかに晩年のヒトラーは全身に異常が出ていて、根幹に梅毒があったと考えると納得しやすいです。

ゲシュタポ長官ハインリヒ・ヒムラーの主治医フェリクス・ケルシュテンは、ヒトラーがまぎれもなくこの病気にかかっていたという証拠を明らかにしています。

彼の最後の数年間の震えと不規則な心拍は、後期梅毒の症状であった可能性があります。

これは、彼が長年梅毒に悩まされていたことを意味しています。

他の説もあり、左手でメガネを握る際にカタカタと震えていたという話、右手を多用していたなどの秘書の証言からパーキンソン病であったとも言われています。



切手は1939年ドイツ帝国発行の「ナチス会議記念切手」で、演台のヒトラーが描かれています。


ヒトラー.ドイツ帝国.1939.jpg



切手は1943年ドイツ帝国発行の「ヒトラー54歳誕生日記念切手」で、ヒトラーの横顔が描かれています。



ヒトラー.ドイツ帝国.1943.jpg



切手は2013年コートジボワール発行の「第二次世界大戦小型シート」で、ヒトラーのが描かれています。


ヒトラー.コートジボワール.2013.jpg



切手は2015年コンゴ発行の「第二次世界大戦小型シート」で、ヒトラーのが描かれています。


ヒトラー.コンゴ.2015.jpg




切手は2015年ベナン発行の「第二次世界大戦小型シート」で、ヒトラーのが描かれています。


ヒトラー.ベナン.2015.jpg



切手は2016年マダガスカル発行の「第二次世界大戦小型シート」で、ヒトラーのが描かれています。


ヒトラー.マダガスカル.2016.jpg



【おまけ】

ヒトラーが愛犬家であったことは非常に有名で、常々側近に「犬は忠実で主を最後まで裏切らない」と語っていた。

政権を掌握した後のヒトラーの愛犬は、ジャーマンシェパードのメス犬で「ブロンディ」で、かれはブロンディーを溺愛していました。

ブロンディはヒトラーの「動物の恋人」として紹介されています。

ブロンディもヒトラーを信頼してよくなついており、数匹の子犬を産み、ヒトラーの側近くで飼われ続けましたが、自殺前の1945年4月末に自殺用の青酸カリの効能を確認するため薬殺されました。

ブロンディは口に毒を詰め込まれることを最期まで拒み、その眼差しはヒトラーにずっと向けられていて、ヒトラーが退室後もその先をずっと見続けて息絶えたと言われています。
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2024年05月05日

二十四節気−9.立夏−

本日2024年5月5日は立夏です。

立夏とは夏の始まりの時期で、さわやかな青空で一年のうちでもっとも過ごしやすい季節です。

また春先に冬眠から目覚めたカエルが活動をし始め、オスが求愛の鳴き声を上げ始めます。

更に冬眠していたミミズが活動し始めたり、タケノコが土から顔を出す季節でもあります。

花はフジ・ツツジ・シャクナゲが開花して目を楽しませてくれます。

食べ物では、路地物のイチゴ・キンメダイを楽しむことができます。


切手は2016年中国発行の「二十四節気・夏 6種連刷切手」の中の一枚で、立夏が描かれています。


立夏.2016.中国.png



切手は2000年台湾発行の「二十四節気切手」の中の一枚で、立夏が描かれています。


立夏.台湾.2000.jpg



切手は2003年日本発行の「東京の四季の花・木W フジ 東京都切手」の中の一枚で、フジが描かれています。


フジ.日本.2003.jpg



切手は2016年日本発行の「地方自治法60周年記念切手」の中の一枚で、イチゴ(トチオトメ)が描かれています。


トチオトメ.2016.jpg


切手は2005年日本発行の「ふるさと切手北陸」の中の一枚で、シャクナゲが描かれています。


シャクナゲ.2005.jpg


切手は2002年日本発行の「ふるさと切手和歌山県」の中の一枚で、ツツジに和歌山マリーナシティ及び和歌浦湾が描かれています。



ツツジ.2002.jpg
posted by 血液の鉄人 at 07:53 | Comment(0) | TrackBack(0) | 二十四節気 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする