彼は伝染病のコンタギオン説(接触伝染説)を提唱したことでも知られています。
当時梅毒は、ナポリに侵攻して病を得たフランス人は「ナポリ病」「スペイン病」などと呼び、フランスから広まってきたので、周辺諸国は当然ながら「フランス病」と呼んでいました。
またポーランド人は「ロシア病」、ロシア人は「ポーランド病」、トルコ人は「キリスト病」と呼ばれ、日本でも「唐痘」とか「ポルトガル病」と呼ばれていました。
フラカストロは1530年に『梅毒あるいはフランス病』(Syphilidis, sive Morbi Gallici)を著し、伝染病の病原菌の観念を述べています。
この中でシフィリスという豚飼いがアポロ神を馬鹿にしたため罰を受け、全身に「汚いただれ」ができたという。つまりSyphilis(シフィリス)という病名は、梅毒に罹患した豚飼いの名前に由来しているとされています。
切手は、1955年イタリア発行の「国際内科学会議記念切手」で、フラカストロの肖像とローマ時代のヴェローナの競技場が描かれています。
切手は2003年サンマリノ発行の「ベローナフィル100年記念切手」で、ピエトラ橋とともにフラカストロの肖像が描かれています。
切手は2003年サンマリノ発行の「ベローナフィル100年記念切手」で、ピエトラ橋とともにフラカストロの肖像が描かれています。