それでは何故「ジェンナーは自分の子供で実験した」という間違いが伝えられているのでしょうか?
ジェンナーの息子(エドワード・ジュニア)の世話をしていた看護婦がこの軽症型天然痘に感染し、そこでジェンナーはこの看護婦と接触していた自分の息子と二人の少女に、看護婦からとった膿を接種しました。
その結果、3人の腕には軽い感染の症状が現れました(つまり軽症型天然痘の免疫ができたわけです)。
この後ジェンナーは、この3人にさらに普通の天然痘の接種を行いましたが、天然痘の感染の症状は現れず、疑問を感じたジェンナーは、翌年息子にもう一度普通の天然痘の接種を行いましたが、このときも軽い感染の症状を起こしたのみでした。
しかし、ジェンナーはこの後軽症型天然痘については、以後一切の実験を行わず、後に出版し論文の中でもこのことに対しては一言も触れていません。
ジェンナーは、当時乳搾りの女性から「私は絶対天然痘にはかかりません。牛痘にかかったことがありますから。」という話も聞いていました。
牛痘にかかれば天然痘にはかからない、つまり牛痘に感染することによって天然痘に対する感染予防免疫がえられるのではないかと考えました。
ジェンナーは、牛痘にかかったことのある19人の患者の皮膚に天然痘の膿を植え付けてみたところ、全ての人で皮膚が赤くなるだけで、痘疱はできませんでした。
その後、実験観察を重ね、いよいよ人工的に牛痘を植える実験を開始しました、1796年5月14日、牛痘にかかったサラ・ネルムズの手の水疱からとった膿を、当時8才のジェームズ・フィップス(ジェンナーの息子ではなく、ジェンナー家で働いていた父親のいない労働者だということです。)に接種しました。
少年は1週間後に微熱が出ましたが、すぐに下がり、約6週間後の7月1日に、天然痘を接種しましたが、少年は天然痘を発症することはありませんでした。
2年後にジェンナーは、11ヶ月から7歳までの8人の子どもたち(この中にはジェンナーの息子ロバートも入っていました)で実験し、概ね成功しました。
戦前の小学校の「修身」の国定教科書に記載されていることから、ジェンナーの偉業は日本ではよく知られていることです。
この教科書には「まず自分の子に牛痘をうえてみた上……」という誤った記載がされていることよって日本では、ジェンナーはまず自分の子供で試してみたという誤った伝説が生まれてしまったのです。
切手は、1978年レソト発行の天然痘撲滅記念切手で、モンテベルデ作の「小児フィップスに種痘をするジェンナー」を描いています。
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