10.輸血学の模索の時代
14.簡略輸血年表−8.紀元1870年から1900年まで−
動物の血液の輸血の危険性が認識された時代。
1873年
・J.Howe、結核末期患者にヤギの乳を輸注し失敗。
・F.Gesellius、脱繊維素血液の使用に強く反対。
1874年
・J.R.Chadwick、当時の輸血法を4群に分類(@脱繊維素血の輸血、A全血の間接輸血、B静脈から静脈への直接輸血、C動脈から静脈への直接輸血)
・O.Hasse、ヤギの血液を輸血に使用することを提唱し、輸血を行うが致命的な副作用を認める。
・E.Ponfick、動物および人の異種動物間の血液輸血により赤血球の溶血等によるヘモグロビン尿による腎臓障害が起きることを証明する。
1975年
・L.Landois、異種血液輸血による溶血反応を試験管内と生体中で証明し、1874年までに実施された輸血347例についてまとめ、動物の血液の輸血の危険性を報告、この報告により以後動物の血液の輸血は行われなくなる。
・E.Ponfick、輸血副作用の機序を解明し、動物の血液を人に輸血するとなぜ危険かを証明する。
1877年
・ポール・エールリッヒ、白血球を初めて染色する。
1880年
・S.Ringer、血液代用液リンゲル液を創製。
・J.Howe、肺疾患患者に人乳を輸注するが死亡。
1881年
・A.S.Landerer、貧血患者に生理食塩水を静脈注射する(初めての静脈内注射法)。
・『打診と聴診に関する研究』を発刊したスコーダ没。
瀉血療法やヒルによる吸血療法に反対する。
切手は1937年オーストリア発行の『ウィーン医学派を称える切手』で、スコーダの肖像画描かれています

1882年
・G.Bizzozero、血小板に血液凝固作用があることを報告。
1883年
・Halsted、一酸化炭素中毒患者に自己血輸血を行う。
1883〜85年
・ニーチェ、『ツァラトゥストラはかく語りき』を著し、その中にヒルによる吸血瀉血療法の表現あり。
1884年
・メチニコフ、白血球の食作用を発見。
切手は1991年ソ連発行の『ノーベル賞受賞者切手』で、メチニコフの肖像が描かれています。

1886年
・Landerer、輸血の副作用を避けるために0.7%食塩水に3〜5%のブドウ糖を加えたものを輸注する。
1888年
・ポール・エールリッヒ、再生不良貧血を初めて区別する。
切手は1954年西ドイツ発行の『エーリッヒとベーリング生誕100年記念切手』で、エールリッヒ(左)とベーリング(右)の横顔が描かれています。

1890年
・ベーリーングと北里柴三郎、抗毒素療法創始(血液製剤を特異的治療剤として使用する基礎を築く)
『北里柴三郎の切手』
・フレイザー、『金枝篇』を著し、血液にまつわるタブー、伝説、信仰などの記載あり。
1891年
・Ferund、クエン酸ソーダを血液に0.2〜0.5%の割合に混合すると血液が固まらないことを発見。
1892年
・Landois、ヒルから抽出した「ヒルジン」を抗凝固剤として使用できることを報告。
1897年
・ブラム・ストーカー、『ドラキュラ』を著す、生血輸血の描写あり。
切手は2008年イギリス発行の『映画ポスター切手』で、1958年のイギリスのハマー・フィルム・プロダクション製作の映画で、ピーター・カッシングとクリストファー・リーの共演作。監督テレンス・フィッシャーの宣伝ポスターが描かれています。

1899年
・ボルデー、溶血反応の研究を行う。
切手は1995年グレナダ領グレナディーン発行の『ノーベル賞受賞者切手』で、ボルデーの肖像が描かれています。
