彼の身長は152Cmとしかなく、胴体の発育は正常でしたが脚は子供のままの状態でした。
彼の脚の以上は遺伝性の骨形成不全症とも考えられています。
彼はアルコールに依存していき34歳のときにはアルコール中毒による発作を引き起こし、強制的に入院させられ治療を受けますが、退院後も酒を飲みながら絵を書き続け、1901年再度発作を引き起こし36歳の若さでその生涯を終えました。
彼はキャバレー「ムーラン・ルージュ」との出会いから、キャバレーに入り浸るようになりこの頃から彼女らをモチーフとして愛情のこもった筆致で描くことになります。
そしてロートレックは娼婦への依存も次第に高まり、自身のコンプレックスと当時の下層階級である彼女たちとの親和性に強く惹かれていきその奔放な性生活により梅毒トレポネーマに感染してしまいます。
彼はアルコール中毒だけでなく、1890年頃には梅毒トレポネーマに感染していました、そのことからして彼の発作は梅毒によるものとも考えられます。
切手は1958年フランス発行の「著名人切手」の中の一枚で、ロートレックの肖像が描かれています。
切手は1976年トーゴ発行の「ロートレック死去75年記念小型シート」で、彼の作品『モーリス・ジョワイヤン』(切手左)、『メッサリナ』(切手右)とともにシート面には彼の肖像が描かれています。